城北祭の歴代パンフレット

 城北学園文化祭の歴代パンフレットをダーッと並べてみました。城北祭の回数は5回多く表記されていて、本当の第1回は昭和21年からなのですが、今の回数だと第1回は学校創立の昭和16年という事になってしまっています。

 これ初めは「開校×周年文化祭」という物だったのですが、20回くらいから文化祭の回数と呼ばれる様になった様です。

 30年位前の城北祭は、回数というのは年によって書いたり書かなかったりでしたが、現在の様に校長がパンフレット挨拶文の冒頭で、「本日は第×回城北祭にお越し頂き・・」と回数を書く様になったのは、先代の帖佐正雄校長になってからの事でした。

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頭に残った言葉(2017年10月)

【猫】『新聞や雑誌を広げると飛んでくる猫の気持ち。猫は読書もしないし、パソコンも使いません。なので、猫にしてみれば飼い主が「フリーズしている(動かなくなっている)」から「この人、目は空いてるけど寝てるのかな? だったら一緒に寝ようかな」とそばに寄ってきているのだそう』

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城北の先生の大学

 先日城北祭で、2016年までの学園報が縮刷版になって展示されていました。昭和50年代の始めにPTAと先生で出す形で始まって、初期の記事は昭和58年頃に出された城北新聞縮刷版(生徒誌)に収録されています。

 記事として多いのは新任や退任する先生、各学年の担任の先生の紹介、文化祭や体育祭などの行事の話ですが、城北の特徴として挙げられるのは、40年弱校長を務めた近藤薫明先生(社会)と、長く教頭を務めた細谷先生(数学)の影響で、先生方に国学院大と東京理科大の出身者が多いというのがあります。

 城北新聞があった頃は、新任の先生の紹介記事で出身大学を聞いていて、昭和60年までで言うと、慶応大学から先生を採った話がない事と、大学は2流で高校は1流という先生が結構いた事、OBは印象が強いけど1〜2割だったと思います。英語科は上智大が多い様で、国社の国学院大は毎年合わせても1名と決まっていた様ですが、3割強を占めていました。