ウドンコからクンメイへ

城北学園の校史に、終戦直後に入学した女子生徒の寄稿文が載っています。約40年続いた近藤薫明元校長の時代、城北中学は一貫して百名の募集で、高校の定員は550名くらいでした。また近藤先生は、晩年まで元教員として毎年、城北の創設者・深井鑑一郎先生の墓参りと、戸山高校の同窓会には欠かさず出席されたそうです。昔だったら中学は男子校、高校は共学校でも良かったと思うし、高校では女子を採った方が評価も上がったと思うんだけどなぁ。

※「ウドンコ」は近藤薫明先生の「近藤」の逆さ読みで、開校初期の頃に呼ばれた仇名(そういう性格だったらしい)。「クンメイ」は本名しげあきの読み間違えで、いわば通り名になってしまった呼び名です。

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