深井先生が長寿なら

 意外に知られていないのですが、戦前の公立学校の先生というのは地方公務員ではなく国家公務員だったそうで、城北学園創設者・深井鑑一郎先生(昭18年没)も、府立4中の校長を退職する時には文部大臣に辞表を出したし、城北中もわずか5か月で認可開校されました。

四中

 深井先生が亡くなって、教頭の近藤薫明先生が引き継いでからは、戦後の城北中学は定員百名となって近藤校長が退職する昭和56年まで続けられるのですが、もし深井先生があと10年在命だったら、たぶん戦後も一貫教育でやって行こうとしただろうし、戦後法律が変わっていったん共学になった城北中を、再び男子校に戻すという選択はできなかった可能性があったと思います。

 一方、昭和10年に市ヶ谷で開校した城北高等補習学校(後の予備校)は、深井先生が4中を退職される昭和13年まで、田中饒という府立4中の元先生が校長を務めていましたが、この先生は確か、高田馬場駅前にあった私立高田高校(昭和44年廃校)の校長になっておられます。

田中饒

 城北でも昭和42年頃に、隣地の現桜川中学校用地の田畑を購入して大学(又は高等専門学校)を建てる計画がありました(理事長の休止で中止)。もし高田高校と城北高校が合併して、例えば高田馬場に高田中学などをつくり、桜川に併設の高田外国語学校を誘致していたら、今でも結構やれていたんじゃないかなと思ったりします。

教育基本法(抜粋)

①われらは、さきに日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつものである。

②われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

第3条(教育の機会均等) すべての国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

第5条(男女共学) 男女は、互いに尊重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。

第6条(学校教育) 法律に定める学校は、公の性質をもつものであって、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。

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